

文政元年(一八一八)有馬頼徳公(ありまよりのり)が領地久留米の水天宮を江戸三田赤羽の藩邸内に分祀されたのが創めで、明治元年、東京青山へ、さらに明治五年現在地に移りました。
江戸時代は、毎月五日の縁日に限り参杯が許されていました。当時の妊婦の方が、お下がりの鈴紐を頂いて腹帯として祈願したところ、非常に安産だったことから、人づてにこの御利益(ごりやく)が広まりました。また子授け、水難除、渡航安全の神様としても有名です。御祭神は、天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)、安徳天皇、建礼門院、ニ位ノ尼で、境内社として、火風の神、鎮火の神、雨の神、又、芸能・辯論・貨殖の神、「辨財天市杵島姫神」(べんざいてんいちきひましめのかみ)がお祀りしてあります。 |
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